ジェネッタの日々あれこれ

休日などの備忘録、面白かった本の感想など、メモしてきます。

Everybody Sunshine

 さて、前回の日記に続き、当日はヤッチと荻野仁子さんのライブがありました。

 

 先にヤッチがソロで数曲歌い、続いて荻野仁子さんが一曲、途中でパーカッションの船原さんが合流し、Hani Dallah Aliさんの素晴らしい絵に囲まれながらのアラブ音楽はなおもオリエンタルで、滅多にライブに行かなくなった僕に懐かしい豊めきを与えてくれました。

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 とりわけ、忘れられないのがヤッチの最初のソロライブで、今回はこのことについて話したいと思っています。

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 ヤッチが20代上京したてのころ、「吟遊詩人」というバンドを組み、ギターを弾いていたことは知っていましたし、CD-Rをもらったこともあったので、何となくイメージはついていたのですが、今回は実物を何としても聞きたい!ってほどでもなかったのが本音です(笑)

 

 そんな甘い認識だった自分を今は悔やみます、彼はまさしく生粋のミュージシャンでした。

 

 知っている曲も何曲かありましたが、こうして数曲聞いていると、ヤッチの歌はどこか一貫して一つのテーマで結ばれているようにも思えました。

 

 それが”少年”なんです。

 

 タイトルそのまんま「少年のうた」という曲もあって、ヤッチの初恋のエピソードからイメージして作ったらしいのですが、曲にまつわる裏話など含めてヤッチの語り節はドラマチックで引き込まれます。長年ずっと講演会を続けてきただけあってまさに”語りのプロ”というより”吟遊詩人”そのものといったところなのですが、何より彼の曲は”少年の頃の感情”から焦点がぶれないんです。

 「少年」ではなく「ふるさと」と言い換えてもいいのかもしれませんが、失ってしまった原初の輝きを取り戻したい、そんな渇望に似た感情が、彼の歌からは聞こえてくるんです。

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 こう振り返るとヤッチがなぜHani Dallah Aliさんの世界に惹き込まれたのか、日本での個展開催を熱意を込めて企画したのか、わかる気がします。絵画と歌で表現は違いますが、向かっている方向は同じ。何年経っても、死ぬまで心は少年でいたい、そんな魂の鼓動が聞こえるんですよね。

 

 一番忘れられないのが”役に立てなくてもいい”という曲でした。自分でも信じられないくらい、歌が始まった瞬間に感情の渦が巻き起こって、思わず途中から涙が止まらず、それほど今の僕の心に響いた曲でした。

 

 歌詞やメロディー、ギターの音全てが良かったですが、途中で人に見せるのが恥ずかしいぐらい泣き続けてたんで正直余り覚えてなくて(笑)、振り返ってみれば「役に立てなくてもいい」というフレーズの持つ強烈な吸引力に引き寄せられたんだと思います。

 

 前に書いたとおり、ヤッチとはここ10年くらい会っていないのですが、この曲を聴いた途端に、何だかここ10年のことを知ってるヤッチが、僕に向かってメッセージを放っているようにしか思えないような変な錯覚になって、どれだけこの人は時代の心眼を捉えるのが上手いのかと驚嘆してしまいます。

 

 似たようなフレーズで「自分らしく生きる」とか、「頑張らなくていい」とか、色々言えると思うんです。でもそんなのはありきたりで心に響かない。

 あえて”役に立てなくてもいい”という言葉をヤッチが選んでくれたことで、どれだけ自分が無意識に、社会に対し、仕事に対し、必要以上に役立てようしていたか、そして認められたくてもがいていたかに気付かされた気がしました。きっと、あの会場にいた全員が気付かされたんだと思うんです。

 

 繰り返しになりますが、ほんとに恐れ入りました、ありがとうございました!世の中には物凄い人たちがいっぱいいて、そういう人たちに出会いたくて、この世界をもっと広げていきたいという欲望に駆られますね。またライブがあったら誘ってほしいです。僕も早くいい演者さん見つけてドラム叩きたいなー。

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Hani Dallah Ali展

 5月にあった出来事も報告したいし、現在の政治状況諸々気持ちが落ち着かないのですが、下記の件で書く衝動が抑えきれないため、先だって江古田で開催されていた、6月10日(土)Hani Dallah Ali展についての覚え書き。

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 Hani Dallah Aliさんはイラク出身の画家ですが、イラク戦争後の情勢悪化により、現在はヨルダンに活動の基盤を移し、各地で個展を開催しているとのことです。

 

  パンフレットによれば、今回は3度めの来日となり、「ラヒール・ワタン〜祖国、我を去りて」という新シリーズを携えてのツアーとなっているとのこと。

 

  実はAliさんの個展については、1回目については東京で見たことがあります。その頃の作品がHPに掲載されているようですが、極めて抽象的だった10年前の絵に比べ、現在の画風は中々に変化しています。 

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 元々今回の個展は、PEACE ONの相澤恭行さん(ヤッチ)の伝手で知りました。

  相澤恭行さんは、2003年イラク戦争の際に行われた「人間の盾」を機に、日本各地での戦争の実態に関する講演、イラクの子ども達へのスクールバスの提供といった慈善事業、さらにイラク現代アートの展覧会の開催といった、様々な文化・平和活動を行ってきた人です。

 

  個人的な話ですが、ちょうど2004年の時期、僕がまだ大学1年生の頃に母校でヤッチの講演会が行われていて、それがきっかけでちょくちょく彼の自宅に遊びに行かせてもらいました。今思うと図々しいくらい、精神的に不安定だった僕を色々な場面で支えてくれました。

 あの当時も彼の周りには反戦自衛官とか音楽家とか、軍事ジャーナリストとか絵画アーティストとか、様々な人種が集まっており、当時の平和活動に一定の影響力を与えていました。振り返ってみても極めて時代に対して鋭敏な感覚を持った、行動力とカリスマ性のある人でした。

 

  大学を卒業してからはてんで連絡が途絶えてしまったのですが、今回意識的にヤッチと会う機会を作りたいと図っていたところ、Hani Dallah Aliさんの個展開催という素晴らしいタイミングで東京に来られると聞き、何とか江古田に向かいました(土日休みが取りづらい職場なもので、割と運が良かった方なのです)。

  ヤッチに会うというのも目的でしたが、Aliさんの絵画と再会することも、今の僕には何か意味があるような気がしていました。

 

  何でこんな話をするのか。1月の飲み会で労働組合の先輩から「ジェネッタくん、よくわかった。君には哲学がないのだ。」と言われたことが発端でしょうか。当初は何を言われているのかわからなかったのですが、すぐに理解しました。

 要するに、僕は時代に怯えているのです。安倍政治という巨大なゴジラに震えて身動きがとれなくなっている。

 

  政治に対しては一定の関心を持っていた方ではあると思うのですが、自分の仕事や趣味関心を一切犠牲にしてまでの何かを突き詰める、という覚悟はない。結局のところノンポリに毛の生えた程度だった僕の人生に彗星を突き落としたのが安倍政権でした。

  戦前の軍国主義を礼賛する勢力の筆頭として安倍晋三は多いに警戒していましたが、想像以上の早いスピードでのメディア統制、憲法に抵触する法案の説明不足と強引な可決、アベノミクスによる格差と生活破壊、権力の私物化、何より中国・韓国市民への敵対的パフォーマンスによる大衆感情の鼓舞と分断、どれをとっても社会を息苦しくする方向に向かっています。

 

  こうしたことへの周囲の無関心も相まって、不安感・恐怖心は毎日続き、遠くへ逃げたいとか、現実的でない方向へ感情が揺さぶられそうになっていました。

 

  そんな中、たまたま4月に東京ジャーミィに立ち寄りました。イスタンブールアヤソフィアやブルーモスクに行ったこともあるくらい、もともと僕はアジアとヨーロッパの中継点とされるトルコが好きで、とりわけ絢爛華麗なオスマン建築に憧れがあったりしました。

 

 場所は知っていたのですが、中々行く機会をつかめず、友人を誘って日本語のガイドがつく時間帯に立ち寄ったのですが、当地の出版・広報担当の下山茂氏が熱弁しながらイスラム教について解説をしていただき、ちょっと立ち寄って帰るつもりだったものが、すっかり17時近くまで議論をしあっていました。

 印象深かった場面は色々あるのですが、中でも礼拝の時間が壮観でした。

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 ムアッジンが礼拝を告げ、続々とムスリムがジャーミィに集うのですが、それが様々な人種・民族で構成されていることは一目見てわかります。やはりトルコ系やアラブ系の風貌が多いですが、インドネシアでしょうか、東南アジア系の方も加わり、最後は下山氏も礼拝に加わります。

 見知らぬものとも肌を寄せ合い、幽寂な空気の中で一人アッラーを称える声がこだまする。終わった時は皆活き活きとした表情で仕事場に戻るという、一際荘厳かつオリエンタルな情景でした。

 世界都市である東京だからこそ、考えてみれば当たり前の風景がここにあるわけですが、普段の僕の生活では味わえない神聖な体験を、ここ東京で味わうことができたのは貴重でした。

 

 多くの民族・人種も、唯一神アッラーの下には全て平等である、というイスラム教の精神を初めて垣間見たと同時に、世界宗教として14億人もの人々を束ねる奥深さや歴史を感じるきっかけにもなった気がしました。

 

 下山氏は「人類の歴史の中で危機に追い込まれた時、絶望に瀕した時が幾度となくあったと思う。その時に人は、”神”の存在を知ったのだ」と言っていましたが(間違ってたらごめんなさい)、大げさでも何でもなく、これからの日本社会を間違わずに生きていくためには、神のような”大いなる意思”を信じる力、ないし哲学を持たねばならないだろうと、強く感じたのです。

 

 

 話はそれましたがAli展、ここでもイスラムの息吹を感じれるのではないかと、密かに楽しみにしていましたが、結果としてそうした宗教的な観念は特に意識することなく、10年前とは違った世界観に魅入られました。基本的には現代アートという範疇で語られるような抽象的かつ印象的な色彩の絵画が連なっているのですが、目を閉じた女性、円形の木板、りんごや手、二対の人物、共通したモチーフが掲げられ、想像力を掻き立てる作品群となっていました。

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 当日はAliさんとヤッチによる講演会も催されており、改めてそのモチーフに込められた温かく、深淵なメッセージを知るのでした。

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 Aliさんは、家族とともにイラクからヨルダンに避難してから、幾度となくワタン(故郷)に戻る機会を伺っていたのですが、既に自分が過ごしたワタンは戦争によって粉々に砕かれ、消えてしまった。いわば「私がワタンから去ったのではない。ワタンが私から去っていったのだ」と。
 絶望的な状況の中で、アーティストとして生きるAliさんが見つけたテーマが「心の中のワタン」でした。円形の木板は、”ホブズ”という、窯焼きのパンであり、イラクの食文化の中心となるもの。女性は、ホブズを毎日焼く、私達を育ててくれた母であり、平和と命の象徴となるもの。りんごや二対の人物は”原罪を背負ったアダムとイブ” etc・・・いくつものメッセージがハーモニーとなって絡み合い、絶妙な世界を形成していました。

 

 僕の拙い文章では、とてもAliさんの人間としての”深さ””熱情”を伝えることはできないのだけれども、一ついえるのは、彼の作品群が極めて普遍性をもったものだということです。ワタンから引き裂かれたのはAliさんだけではない。中東だけでいってもパレスチナやシリアが壊滅し、日本でも震災がありました。また、具体的な戦争や災害による土地の崩壊だけでなく、世界各地で物質的にも、精神的にも故郷を破壊する時代が到来しているのです。


 そうした時代の中で、生命の根源を育んだ”ワタン”の存在を世に問い、分断と破壊とは異なる人間的な世界について提起するAliさんの絵画は、多くの人が受け止められるアーティスティックな優しさと可能性に満ちたものでした。

 

 率直に言って、僕は日本の閉塞的な未来へのオルタナティブについて、絵画や音楽といったアートは信頼していませんでした。一面で唯物論者である僕からすれば、やはり政治や社会運動は”理性”の世界であり、社会科学的な見地から批判と提案を重ねて、市民に納得してもらってこそ意味があると、すっかり刷り込まれていたのです。

 

 しかし、最後の最後、真に人間を人間たらしめる感情は、理屈で説明できるものではない。だから人は命をかけてでも絵画を描き、歌を作る歴史を作ったのだと、改めて気付かされたのです。

 

 僕もアートや音楽が大好きです。拙い知識や技術でも仲間と鑑賞したり、一緒に演奏したり、そうした当たり前のことをする時間が実はとても尊いこと、哲学を育むことなのだと、Aliさんに教えられた気がしました。


・・・・・・・と、ここまで大絶賛しているAliさんの作品ですが、残念ながら、今回僕は絵画を購入してません(笑)5月に奮起して一眼カメラを購入してからすっかりお金がなくなり、とても新しい物を購入できる余裕がなかったのです。

 単純に言い訳なんですが、次回こういう機会があれば早めにお金貯めて、表玄関に飾りたいですね。うちに来たお客さんがいて、「この絵はなんだ」という話になったら、さっそくAliさんの話をするんです。ただの美術論壇ではない、本質的で、とても意味があることだと思います。

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 この後はヤッチとウード奏者荻野仁子さんの演奏もありました。これも大変素晴らしく、ヤッチの唄には深いメッセージがあり、僕は恥ずかしげもなく感涙してしまったものですが、まとまらなくなってくるので、気になる所含め、後日別添記載することとします。ではまた。

ここ最近の行動

3月13日(月)

イタリア映画祭鑑賞(内容は暗殺の森

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3月18日(土)

東地和生美術展・その後は映画鑑賞

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4月7日(金)

David Bowie is 鑑賞

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4月23日(日)

東京ジャーミー来館

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5月1日(月)

第88回千葉中央メーデー

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 その他、ちょくちょく友達がうちにきてくれたので、一緒に映画見たり、船橋で飲んだり千葉で焼肉食ったり、はたまた念願のミラーレス一眼を買ったりと、ここ最近は何かと外に出て行動することが多かったですね。

 

 あと、さらに念願、バンド辞めました(笑)これで非常に気分は軽くなったので、しばらく自分のやりたいドラムのテクニックとかあげつつ、動画撮影とかの技術等も学んでいきたいと思ってます。

 

 あと、月に一回、平日にも関わらず東京に出て学習会に参加し始めたりと、なんか猛烈に忙しくて、GW後は風邪ひいて仕事休んでしまいました。

 

 情勢的には例の共謀罪が本格的に通過しそうで、非常に危険です。こうした時代だからこそ、後悔せずに自分ができることは何だろうかと、じっくり考えながら生きていきたいものです。

 

 今後も朝鮮学校のイベントに行ったり、日光行ったり、聲の形の7回目鑑賞行ったり、忙しくなりそうです。

新年度になりました。

 どうも、ジェネッタです。

 

 4月がはじまりあっという間です。中島みゆきの「私たちは春の中で」よろしく、この時期特有の猛烈な倦怠感と寂寞感と花粉症に襲われると思いきや、気候的な問題もあり、あまり鼻づまりに悩まされることなく、新年度のけたたましい業務に襲われる日々を過ごしてます。

 

 ここ一ヶ月は趣味=仕事っていうくらい仕事のことしか頭になくて、夜遅くまで働き、家帰ったら帰ったでtwitter覗いたら8億円がどうとか和菓子がとうとか、はたまた共謀罪と頭が痛くなるようなニュースばかり、つくづく先行きが不透明な時代にいるなと実感します。

 

 昨年度は休職していた仕事を再開し、初めて出先機関で働くことになりました。新しい職場に出て市民と触れ合い、自分が仕事をすることの意義を噛みしめる一方、仕事が政治の影響をもろに受けるせいか、改めて時代は刻一刻と息苦しい方向に向かっている実感を感じた一年でした。

 

 こうした情勢だからこそなおさら、他人に対して、社会に対して黙ったりせずに、大事なところで自分の意見をまっすぐ主張できる一年にしたいと思ってます。なんだかんだ場の空気に弱い人間なので、押し黙って後悔とかしてしまうとか、相手に合わせようとして、合わせられなくて疲れてしまう性分なのですが、今この時代に必要なことを見極めて、知識を蓄え、堂々と僕が僕であることを誇れる年にしたい、そんな風に考えてます。そんな感じですがよろしくお願いします!

 

 相変わらず文章書くのが苦手で、中々進まないのですが、ここの場もうまく活用してきたいですね。あ、貼り付ける写真も思いつかないので、適当に前に行ってきたボウイ展の写真を最後に添付。

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2月後半〜3月前半備忘録

2月26日(日)

 この日、珍しく日曜日が休みとなり、たまたま人と会う用事もなかったことから、数日前にFBで情報を知った「戦争の加害」パネル展を見に横浜までいきました。

 

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 今のご時世とてつもなくストレートできわどいタイトルな気もして、変な人たちが集っていることを覚悟していましたが、気にしすぎだったようです。

  中のパネルは「慰安婦」関連や南京事件の紹介はもちろん、731部隊ジオラマ付き)や毒ガス実験といった日中戦争の戦跡など、幅広く第2次大戦時日本軍の歴史が勉強でき、狭い展示室でしたがおおいに学ぶことができるパネル展でした。様々な団体からの持ち合わせらしく、また看板見ればわかるとおり、手作り感満載で、雑多な印象は拭えない展示でしたが、それでも多くの方が見にいらしたようで、今の時代にこれをやる意味はとても大きいでしょう。神奈川の市民の健闘には励まされます。

  ちなみに、この日は北宏一朗さんによる日本軍の毒ガス戦と企業の関与に関する講演が行われました。こちらも狭いスペースに観客がぎっしり埋まりましたが、非常におもしろかったです

 毒ガスは「貧者の核兵器」と呼ばれ、核兵器に比べると製造費用が少なく、材料の入手が簡単、さらに技術・設備も簡易で済むという特徴があり、三井化学住友化学といった大企業が積極的に、関わって製造されたとのことです。

 戦後も遺棄された毒ガスによる被害が中国で問題となっていること。戦争中に製造に加担した企業は今も堂々と経営を維持し、一方でベトナム戦争等のアメリカの戦争でも、会社の技術が積極的に使われたことなど、詳しい説明がありました。北さんの加害企業に対する淡々とした、しかし確かな怒りがひしひしと伝わる講演でした

 

2月27日(月)

 新宿で用事があったのですが、せっかく東京来たからには時間を有効活用しようと、新宿ピカデリーで映画見てきました。

 

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 「素晴らしきかな、人生」という、ウィル・スミス主演の映画です。ニューヨークが舞台の話でして、娘が死んで精神的に病んでしまっている主人公と、それぞれ悩みを抱える職場の同僚が、3人の舞台俳優と関わって再生してくみたいな話でした。この作品、公開間もないらしく、平日にもかかわらず人がたくさん来ていて驚きました。邦題がちょっと紛らわしくてどうかなという印象ですが、地味ながらよく練られた映画だったと思います。シックス・センス的などんでん返しがあったようななかったような。他の方の感想を見ると説明不足という意見もあったのですが、こうしたある程度演出重視な作品は、余計な説明入れると無粋でしょう。時間あればまた観に行きたいです。

 

3月6日(月)

 再び新宿ピカデリーに寄り、今度は京都アニメーション制作映画聲の形を観に行きました。もうこれで6回目なんです。上映はほぼ終了しているのですが、限定再上映2週間かつ、先着で複製原画がもらえるというおまけ付きもあり(冷静に考えるとそんないる特典かなという気がしますが)、意気揚々と鑑賞してきました。こちらも平日にもかかわらず、6〜7割は埋まっていたような。見に来ている性別、年齢的にも見事にバラバラで、色んな方から熱狂的な支持を受けてる映画なのかな〜と感じました。

 この映画、昨年9月に上映開始したのですが、すぐに聲の形は障害者ポルノではないかとか、ヒロインが美少女で受け身で、いじめ加害者に擦り寄ってるとか、色々話題になった作品でした。同じような時期に上映された「君の名は。」や「この世界の片隅に」等のアニメ映画の方が、結果として目立った印象もありますが、作品そのものの持つ魅力、そこから巻き起こる論争、ともに興味深かった。というよりも、総合的な完成度でいったらこの二作より高いと思ってます。

 反復する映像表現やピアノ主体の抑制されたBGMなど、演出も極めて高級ですが、何よりも作品の放つメッセージが、人生の本質に迫ってるんですよね。差別とは何か、暴力とは何か、原罪とは、贖罪とは・・・・・・何度見ても感動され、発見があり、なおかつ飽きがきません。改めてちゃんと感想を書いてみたいと思ってます。

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 映画を観終えた後、新宿の沖縄料理店で沖縄そばを食べたあと、新橋の汐留ミュージアムまで行ってマティスとルオー展」を鑑賞しに行きました。 

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 フォービスムの巨匠、マティスとルオーの作品と時系列にまとめた展覧会です。

 もともと、そこまで美術館マニアってわけでもないのですが、強烈な黒い色彩とダイナミックな描線、繊細な世界観と題材とで、昔からルオーだけは気になる絵師でした。日本でもかなり人気があり、所蔵されてる作品も多い人なので、何度か展覧会に参加したことはあるのですが、今回はマティスと一緒に見れるということで、一石二鳥的な気分でやってきました。

 今回の展覧会はこちらの方が熱くレビューされてますが、個人的にはそこまではまらなかったかなー。というか、マティスとルオーの熱い友情というのはわかるのですが、どうも二人の個性が強すぎて、いまいちどっちつかずの印象になってしまったような。マティスのジャズシリーズとか、あの空間の中では面白かったですけどね。相変わらずルオーの厚塗りの色彩は重厚感あってよかったですし。僕みたいなアート初心者よりかは、相当フランス芸術に通じてるような玄人が楽しめそうな展覧会でした。

 ちなみに、このチケットは僕がロッカーで服を入れてるときに、60代くらいのお姉さまが横から「間違って1枚持ってきて、余ったので」といってくれたものでした。ルオー好きに悪い人はいません。人類皆兄弟を感じた瞬間でした。